渡辺医院/高崎西口精神療法研修室

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診療内容

All learned from my patients and families  



 記憶というのはやっかいなものです。私達の支えになることもあれば、忘れたいのに何度も脅かすように再生されることもあります。ずっと無意識に押し込まれていたのに、途中から出てきて惑わすことだってあります。

 私達が思い出せるのは言語を獲得した3歳以後でしょう。その前の記憶は映像よりも、体感として記憶されています。赤ちゃんは無力で、泣くことでしかメッセージを送れません。そのメッセージを親(あるいは養育者)が敏感に感じ取り、抱っこしてもらい「安心感」「安全感」をもらえていれば、その後の人生は何とかなっていくのでしょう。ウクライナでもシリアでもアフリカでも、赤ちゃんにとって母の腕の中だけは安全です。

 精神科医における臨床スキルとは何なのでしょう。医療ですから正しい診断を行うことはもちろん大切です。そのために患者さんや家族から情報を得ますし、時には心理検査も活用します。治療は精神療法と薬物療法が主体になりますが、この二つは影響しあいます。そして、この二つを背後で支えるのが精神科医の「人」としての部分だと思います。精神療法トレーニングには「人」としての精神療法訓練というものがあります。私達が他者へ共感する時には、自分の過去や記憶を使い同一化します。中学生には中学生の頃の自分を、新人社員には研修医だった頃の自分を無意識に重ねます。同一化が生ずるからです。しかし、重要なことは「違い」を知ることです。これを差異化といいます。この二つを常にモニターしつつ関わる必要性を私は重視しています。

何を学んできたのか

私の強み

力動的精神療法医として

私が入った精神科医局は日本で当時3つしかない(慶應大学、福岡大学、東海大学)、精神分析学が中心の精神科でした。
 メニンガークリニックの0.カーンバーグ教授に師事した、故岩崎徹也教授は境界例(境界性パーソナリティ障害)の第一人者であり、研修医時代から、私達は行動化や自傷行為に直面させられます。
 半年くらいして、私の方がうつ病になりかけましたが、ずいぶんとトレーニングされたと思います。境界例の持つ突然の気分変調、慢性の空虚、愛情飢餓など、問題行動の背景にある気持ちが重要だと今でも思っています。パーソナリティ障害の理解と治療には力動的精神療法(精神分析)が必須です。
 米国では力動的精神療法と認知行動療法が精神科医の必須研修となっています。

 

家族療法家として

 私は家族療法研究会(故狩野力八郎先生代表)に参加し、家族療法も学びました。家族療法の理論はシステム理論と精神分析(対象関係論)ですが、私は多くの事例を持ち、多くを学びました。特に関心があったのが病気や障害の家族メンバーを持つ家族への支援です。介護保険が導入する前に、身体障害を持つ高齢家族と健康な高齢家族を比較し、家族関係(まとまり、役割分担、コミュニケーション)が病気や障害を持つ家族では重要となることを実証し博士号をとっています。この領域のトップランナーである元アメリカ心理学会会長のスーザン・マクダニエルに学ぶため、ロチェスターに行ってます。
 写真は20年近く前のものです。ここに参加した人達は各国、各領域の第一人者として活躍しています。
 私が日本家族療法学会で大会長をやった二回、スーザンには日本に来てもらっています。伊香保温泉に泊まりました。
 子どもから高齢者まで家族関係を抜きにして、その病理は理解できません。

 

リエゾン精神医学

 大学病院で私は他科のメンタルヘルス、例えばがんとうつ病、透析と不安、片麻痺や失語のメンタルの問題などにも関わりました。日本総合病院精神医学会設立時のメンバーだった時代、この領域でも研鑽と研究をしました。
 今も県内の総合病院で腎臓移植や透析のメンタルヘルス、がん患者のメンタルヘルスにも関わっています。7年前に自身が大腸がんを経験してから、改めて身体疾患のメンタルヘルスが重要と思っています。開業した今でも専門誌から原稿執筆依頼が来ますが、殆どがリエゾンや介護に関連した内容です。
 これまで、何人ものがん患者さんに関わってきました。亡くなった人のことが思い出にあります。「これが先生を守ってくれますから」とお守りをくれたAさん、毎回、私と看護師に差し入れを持ってきたBさん、最後まで「患者が心配だ」と意って先に逝ったC先生。そして文学賞をとらせてくれたDさん。
 人は二回死ぬと言います。一回目は身体的死、二回目は人々の記憶から消える時です。私は記憶から絶対に消しません、私が生きている限り、亡くなった先人達は私の中で生き続け、私を支えてくれています。

 

ライフステージ全てに対応

東海大学医学部は児童精神医学発祥の地です。児童精神科教授から「渡辺は顔が丸いから子どもに受ける、子どもをやりなさい」と強引に誘われたこともありました。
 子どもへ関わることも当時の研修の必須でした。今でも児童青年精神医学会の会員は続けています。看板こそ出していませんが、小学生、中学生、高校生もやってきます。彼らが成長していくことは喜びです。人生とは分化と結合の繰り返しです。思春期・青年期の課題は分離・個体化ですし、高齢者に必要なことは家族や地域との結合です。認知症を介護する高齢男性もやってきます。私は高度成長と日本の発展を支えた話しに耳を傾けます。若い子はゲームやKポップを話してくれます。どの年齢の患者さんらも学びがあります。医師・患者という文脈よりも人と人との文脈のが好きなのです。
 私が最初に研修した精神科病院には厚い紙カルテが置いてありました。日本は世界一、精神患者を長期入院している国でした。そこには20年、30年も入院している方もいました。老病院長は教えてくれました。「彼らの人生はこのカルテにしかなないんだよ」と。

 
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